西暦2018年 平成30年 6月1日(金)

穏やかな、暖かいと言いますが、少し汗ばむ6月に入りました。来週半ばあたりこちら近畿地方も梅雨に、入る予報がでております。今年も、空梅雨になるのでしょうか。それとも雨模様になるのでしょうか。
わたくしども、仕事柄と言ってしまえば、申し訳ないですが、情報収集の、一環としまして、新聞(一般紙・スポーツ新聞など)とネットの閲覧を日課としております。先日一般紙に、老死多社会と、救急医療の現場の特集記事が、載っておりました。そこで気になる記事が延命処置の有無を、当人さんは、無意識で人工呼吸器を付けただけの心臓が動いている状況の中で、さらに延命処置を、施こすか、どうかと判断を委ねるときに、実際ご家族はどう判断されるかという記事がありました。
担当医者の、判断だけで、医療倫理の問題(実際、呼吸器をはずして裁判になった)実例もあるそうです。家族も、最終的に判断を求められましても、心情的にきびしいものが、あろうと思います。考えさせられる記事でした。その2日後、私がモーニングでいつも行く喫茶店で他のお客様が、その記事の話題をお話しされていました。
その方々は、もし延命処置を医者に聞かれたら、自然な形で、見送ってもらいたいと、本人から、聞いていると、言ってくれる様に家族に、お願いされている事でしたが、現代100歳社会を迎えるといわれている中でわたしもいつかは迎える臨終に家族には今のことは伝えようと、思いました。コラム